ゲオルギー・ダネリア『不思議惑星 キン・ザ・ザ』
この映画をみたひとに粗筋を一通り聞いたことがあり、イメージだけは頭の中にずっとあった。やっと観ることができて、自分が想像していたものよりずっと煙たくて淋しい作品であることがわかった。この作品に十分相応しい音楽が使われているし、ママーママーとへんちくりんな歌も流れているけど、とても静かな映画だった。
ニコラス・レイ夜の人々
なぜこんなに悲しい物語になってしまうのか。自分自身を守るためには他人を犠牲にするしかないのか。ひとは誰もが悪人であり善人である。
セルゲイ・ボドロフ『コーカサスの虜
「戦争を始めることは簡単だが、終わらせることは難しい。人を愛することより、殺すことの方が簡単なのだ。」by.ボドロフ監督
ハニ・アブ・アサド『パラダイス・ナウ
ふつうの若者がテロリストになる理由ははっきりとは示されていないけれど、占領という屈辱の中でそれは自然なことなのかもしれない。日本人だからわからないけどわからないからこそ人一倍考えないといけない。神風特攻隊とはまた少しちがう視点からの自爆テロ行為について。「平等に生きられなくても平等に死ぬことはできる」のか?平等に死ぬってどういうこと?死んだらみんな一緒ってこと?平等に死ぬより不平等だと感じながらも屈辱を覚えながらも生きるほうが幸せではないのか?戦争を知らない今の自分は単純にそう思うけど、ちがうのか?どうなのか?
映画を観て、そこからわれわれが感じ取らなけらばならないことは無限にある。
M・ナイト・シャマラン『ハプニング』
父が母を車で駅まで迎えに行ってそのまま帰ってこなかったらどうしようとそわそわしながら観ていたらぶじに帰ってきたのでほっとした。映画は結局ひとびとがおかしくなる原因がはっきりとわからないので最後まで気持ちがわるく、動かなくなったひとびとはその時点で生ける屍のようになっていて、次の瞬間命を絶つことでただの屍になっていた。
そういえば、自殺が増加する前の数値まで自殺者の数を減らそう、という目標が今この国では掲げられているらしいけど、なぜ、ゼロにしよう、ではないんだろう。