王兵鳳鳴(フォンミン) ― 中国の記憶』@第七藝術劇場
ドキュメンタリーをどうみればいいかわからないときにワイズマンに出会い、そうかフィクションをみるのと同じでいいんだと気付かせてもらってそれからはドキュメンタリーをみるときにドキュメンタリーということを意識せずにみるようにしている。でもそれなら尚更ドキュメンタリーよりフィクションのほうがおもしろいやんってつっこみたくなってしまうのでじゃあドキュメンタリーの良さって何、何が面白いのって考えれば考えるほどわからない。確かにこの作品も冒頭で鳳鳴の後ろをカメラが一定の距離を保ってついていくところから始まり、「自分自身に語りかけるように話すわね」という言葉を合図にたんたんと話しつづける鳳鳴をじっとそのフレームにおさめ続け、暗くなった室内を光で満たしたり彼女がトイレに立つ間もカメラを回し続けたり話が盛り上がってきたところでいきなり顔のアップにしたりしながら最後彼女が書くことへ戻っていく、その流れはきっと映画的、と言っちゃえるものなんだろうけど、そういうのはフィクションでもやろうと思えばできるじゃないか。彼女の話が聞きたければ彼女に会えばいいし鉄西区のことが知りたければそこへ行けばいい。じゃあ、ドキュメンタリーって何なの、何のためにあるの、どうみればいいの。わからない、わからない、けど、王兵の作品では小さな奇跡がたくさん起こる。たとえそれらが半分は計算されたものであったとしても、映画においてはそれらを奇跡と呼んでいいと思う。

ケン・ラッセル『ソング・オブ・サマー』
老作曲家が主人公の青年に自分のつくった曲を書き取らせるためにそのメロディーを歌いあげるシーンで笑いが止まらなかった。字幕の字体がキュート。