最初の日々は眩いばかりだった。私たちは暑さに打ちひしがれながら、何時間も海辺で時を過して次第に健康な小麦色に焼けて行ったが、エルザだけは赤むけになってひどく痛がっていた。父は太りはじめた腹部が、ドン・ファンに似つかわしくないと考えて、ややこしい脚の体操をしていた。私は朝早くから水の中にいた。冷たくすき通った水の中にもぐり、パリのすべての埃、すべての陰を自分から洗い落そうと、やたらに体を動かして疲れ果てた。私は砂の上に寝そべって、そのひとつかみを手ににぎり、指の間からやわらかい黄色のひとすじの紐のように流し落した。私はそれが時のように流れ過ぎて行くと自分に言い聞かせた。それは安易な考えだ。安易なことを考えるのは快いと自分に言い聞かせた。夏だもの。
(訳 朝吹登美子)

着いてすぐの毎日は、まばゆいばかりだった。わたしたちは暑さでぐったりしながらも、何時間も浜辺で過ごし、少しずつ健康な小麦色に日焼けしていった。ただエルザだけは肌が赤くなり、皮がむけて、ひどく痛がった。父は、最近出てきたお腹を引っこめようと、複雑に脚を動かす体操をしていた。お腹の出たドンファンなんて、ありえないから。
わたしは明け方から海に行き、ひんやり透きとおった水にもぐって、荒っぽい泳ぎで体を疲れさせ、パリでのあらゆる埃と暗い影を洗い流そうとした。砂浜に寝ころび、砂をつかんで、指のあいだから黄色っぽくやさしいひとすじがこぼれ落ちていくにまかせ、<砂は時間みたいに逃げていく>と思ったり、<それは安易な考えだ>と思ったり、<安易な考えは楽しい>と思ったりした。なんといっても夏だった。
(訳 河野万里子)

訳の読みくらべとか特に興味なかったのだけど今なんとなく読みくらべてみたらなかなかおもしろい。アタマのエリュアールからぜんぜんちがう。やつぱり不器用だけれど趣のある朝吹訳が好きだわ。てゆか「ややこしい脚の体操」てどんなんやろ!お腹ひっこめたいなら腹筋でもすればよいのに・・