チェルフィッチュ『三月の5日間』リクリエーション@ロームシアター京都 ノースホール
良くも悪くも距離を置いてみれたような。10年の間にいろんなことがあったけどみんなもとに戻っていく感じってこれか!ここにいれば大丈夫だと信じてる!
以下、2007年12月の日記。(別ブログより)

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土曜日。chelfitschの『三月の5日間』を国立国際美術館まで観に行った。前にケージのソングブックスをみた場所かと思ったら、更に地下にある特設会場みたいなところであった。前置きかと思ったら違った。そんな感じでずっとずっと話が進んでいった。それに気付いたのは多分他の人よりも遅かったと思う。いわゆる普通の演劇がそのうち始まるんだと思っていた。でも、それは最後の10秒ぐらいだった。
終わってからMTさんが「気持ち悪かった」と言っていた。わからないけど、諏訪敦彦の『M/other』を観たときに私が感じた気持ち悪さと似てるんじゃないかと勝手に思ったけど違うかもしれないので言わなかった。
そういえばこの前同期のK君が自分の曲について「現実的なものを表現したかったので特殊奏法はほとんど使いませんでした」と言っていた。また「無調的な響きの中に調的なメロディや響きが聞こえてくるのもその理由からである」とプログラムノートに書いていた。私はこれを聞いて(読んで)、彼が特殊奏法や無調を非現実的だと思っている理由がわからなかった。後から、彼にとっての現実は社会である程度享受されている範囲を指すんじゃないかと思ったけど本人に聞いてないからわからない。世の中にはわからないことが多すぎる。
上演後に作・演出の岡田利規国立国際美術館館長との対談があって、そこで岡田さんは「余計なものを排除するんじゃなくて全部ぶらさげたまま舞台にあがる」ことについて話しておられた。でもこの作品に無駄なんてないと思った。だから岡田さんは無駄にならない無駄を扱える人なんだと思った。
それから、意図的でないことが後から意図的に見えたとき「すげーて思います」とも話された。ベートーヴェンのあの構築性も意図的じゃなかったらどうしよう。
それにしてもよくあんな台詞覚えられるなあ。アドリブがないようには見えない。