『死霊のはたわた』
地下室で映写機が勝手に回り出すシーン。愉快な音楽をバックにプラグからドロリと血が流れ出したり電球の中に血が溜まったり映写機にポタポタと血が垂れたり。最後、呪いが解けて死霊がドロドロになるところがクレイアニメみたいで楽しかった。冷や冷やしながらも思わず笑いが込み上げてくる。ほんとうに面白い。

『死霊のはたわたⅡ』
Ⅰを見ていなくても楽しめる。またちがう楽しみ方ができる。片手をなくしたアッシュがそこにチェーンソーつけて、いかにもヒーローてかんじ。Ⅰと同じようなシーンもあって、そこはやっぱり笑えた。なんといっても最後がよかった。そうなるかー!

キャプテン・スーパーマーケット 死霊のはらわたⅢ』(劇場公開バージョン)
Ⅱの続編。めちゃくちゃ面白い、ほんとうに面白い。骸骨はぎっちょなのか、フルートを左に構えて吹いていた。サム・ライミバージョンも見なきゃー。スパイダーマンも見なきゃー。

3作品共、最後の最後まで楽しめた。

森達也『死刑』読了。
当事者にならないかぎりなにもわからないのかもしれない。何かの書評に「日本の死刑制度のありかたには疑問を持つが、彼(森)の『(死刑囚を)救いたい』という気持ちはわからない」と書いてあった。これを読んでそう思うひとは沢山いると思う。「遺族の無念は分かります。しかしね、という書き方が僕は大嫌いだ。」という意見も、あるブログで見つけた。セントバーナード犬て。いちばん印象に残ったのは、原田正治『弟を殺した彼と、僕。』からの引用。(P.51〜52)

『その頃、僕は、こんなことをイメージしていました。明男と僕ら家族が長谷川君たちの手で崖から突き落とされたイメージです。僕らは全身傷だらけで、明男は死んでいます。崖の上から、司法関係者やマスコミや世間の人々が、僕らを高みの見物です。彼らは、崖の上の平らで広々としたところから、「痛いだろう。かわいそうに」そう言いながら、長谷川君たちとその家族を突き落とそうとしています。僕も最初は長谷川君たちを自分たちと同じ目に遭わせたいと思っていました。しかし、ふと気がつくと、僕が本当に望んでいることは違うことのようなのです。僕も僕たち家族も、大勢の人が平穏に暮らしている崖の上の平らな土地にもうー度のぼりたい、そう思っていることに気がついたのです。ところが、崖の上にいる人たちは、誰一人として「おーい、ひきあげてやるぞー」とは言ってくれません。代わりに「おまえのいる崖の下に、こいつらも落としてやるからなー。それで気がすむだろう」被害者と加害者をともに崖の下に放り出して、崖の上では、何もなかったように、平和な時が流れているのです。』